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大阪地方裁判所 昭和42年(行ウ)78号 判決

原告

新神戸電機株式会社

右代表者

戸村義一

右訴訟代理人

松本正一

右同

橋本勝

被告

大阪府地方労働委員会

右代表者

川合五郎

右訴訟代理人

水島密之亮

右指定代理人

福井博文

外二名

右被告補助参加人

渡辺健一

右訴訟代理人

片山善夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《略》

理由

一請求原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

二まず、参加人の復帰について原告会社が原職へ復帰させるべき義務があつたか、否かについて検討する。

〈証拠〉を総合すると、参加人が組合専従書記長に就任した直後の昭和三六年一〇月一〇日開催された経営協議会において組合側委員から組合専従者の専従休職中の所属を明確にしておくべき旨提案された。組合から右のような提案がなされたのは参加人は原告会社の守口工場を主体とする組合と浦江工場を主体とする組合が合併し、単一組織となつた後に選出された最初の専従書記長であつたため、参加人ら組合専従者が組合活動に専念できるように配慮したことによるものであつた。そこで、組合は休職中の所属と休職解除後に復職する職場とは一体的に定められるべきであるとの立場から、参加人の休職中の所属については従前配属されていた守口工場設計課設計係とすること、したがつて、また専従解除となつた場合、参加人の復職先を右職場とすべきであると主張した。これに対し、会社側から、当初専従休職中は一般の休職例にならつて所属先を本社総務部付とすべきであるとの意見が出されたが、組合側は専従休職中の所属如何は専従解除後の復職先と密接に関連するとして、組合専従者が病気休職者と性質を異にすることや、労働協約第一九条第五号「専従休職中は原則として異動、転勤を行わない。但し、会社の工務の都合により組合の同意を得た場合はこの限りでない」との規定を根拠に参加人の休職中の所属は休職前に配属されていた職場とすべき旨強く要望した。そこで会社側としても参加人を不利益に取扱わないことが重要である旨の意見を表明したが、専従解除後に復職する職場の範囲については会社側より一般的「課」までを決めるべきで「係」まで決めておくのは相当でない旨の発言があつて、復帰すべき原職の範囲をめぐつて組合側との間に論議がかわされたが、最終的に専従休職中は専従者の異動、転勤は行わず、本人の不利益となる取扱いはしない旨が確認された。その後、組合、会社間に専従休職者の身分上の処遇につき、参加人の専従解除までの間、あらためて協議がなされた事実はなく、また参加人は専従休職中、原告会社守口工場総務課所属とされたが、前記経営協議会における確認によつて、専従解除後の原職復帰が保証されたものと考え、右休職中の処置につきなんら異議を申し出たこともなかつた。しかし、これら確認事項を書面による協定としなかつたのは当時の労使間は円滑で、その取りきめは書面によらなくとも、双方によつて順守、実行されてきたことによるためであつたことが認められ、〈反証排斥・略〉

もつとも、当日の協議の内容を録取した原告会社備付の議事録(甲第四号証)には休職中の専従者の所属を何処にするかの点のみが協議され、専従解除後の復職問題についてはまつたく協議の対象とされなかつたかのごとくなつているが、当日の議題として専従休職中の身分の所属を何処にするかの問題ばかりでなく、専従解除後の参加人の復職先の点もあわせて一体として協議されたことは〈証拠〉に照らして明らかであり、経営協議会における組合提案の本旨も、むしろ、専従解除後の復職先を保証させることにあつたことは先に認定したとおりであるから、復職問題についての協議の内容につき、まつたく記載を欠いている右議事録は当日の協議の内容を余すことなく正確に録取したものとはいえず、右議事録の記載はなんら前記認定の事実を左右するにたりない。他方、前掲乙第二号証(労働協約)によると、組合と原告会社間に締結された労働協約第一九条は前記第五号に加え、第一〇号で「専従休職の理由が消滅したときは復職させる」と規定しているが、いわゆる休職中の組合専従者がその専従を解かれた場合、復職すること自体はすでに労使慣行上一般に認められているものと解して妨げないから、右協約第一〇号に規定する復職とは専従休職中の職場の異動、転勤を禁じた前記第五号の規定との関連においてみると、単なる復職ではなく、会社において専従解除者の原職復帰が不可能とされる業務上ないし人事配置上の特段の合理的かつ正当な事由がない限り原職に復帰させるべきことを義務づけたものと解するのが相当である。それに、原告会社では従前、専従書記が復職する場合、原職に復職できないときには本人の技能、意向を十分に尊重して復職先を決定してきたことは〈証拠〉に照らして明らかである。

以上のとおりとすれば、原告会社は労働協約上専従解除となつた者に対しては会社の業務上ないし人事配置上、原職復帰が不可能とされる特段の合理的かつ正当な事由のないかぎり原職に復職させる義務があり、また、前記経営協議会において組合、会社間で専従休職中の参加人の身分上の処遇につきなされた確認の趣旨とするところも、前記組合提案のいきさつと、これに対する会社側の応答論議の過程に徴すると、前記労働協約の規定の本旨をふまえて、専従解除後の復職にあたつては不利益を与えない点にあつたものとみるべきである。したがつて、原告会社としては、参加人の復職については原職復帰の線で極力努力すべきものであり、右復職が困難のときは守口工場内において設計技術者としての参加人の技能と意向を十分に尊重した職(これを原職相当の職といつて差支えない)に復職させる責務があつたものといわなければならない。そうすると、前記経営協議会における確認、労働協約の定め、従前の専従解除者に対する取扱い事例をしんしやくして原告会社は参加人を原職または原職相当の職場に復帰させるべきであつたとする被告の判断は相当である。

三つぎに、原告会社が参加人を参加人の原職もしくは原職相当の職に復職させることが可能であつたか、否かにつき検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

参加人が専従書記長就任前に配属されていた守口工場設計課設計係は昭和三八年以降原告会社が実施してきた合理化計画によつて生産技術課(既存の研究課、管理課、原価計画係が合併したもの)とともに技術課に統合され、設計係は従前は設計課における唯一の係であつたが、技術課に統合されてからは四係の一つとして技術課設計係となり、配置人員も昭和三七年一二月当時は一三名であつたが昭和四一年二月当時は主任以下七名に減員された。それに、設計補助者としての参加人の担当職務であつた蓄電池の形状設計は従前は設計部門の業務の大半を占めていたけれども、製品、部品の規格化、標準化の作業が進むにつれて蓄電池の設計図面も整備され、参加人が専従を解除された昭和四一年二月当時においては蓄電池の構造的な形状設計としては既存の部品を標準電池に適合させるための設計業務とか、あるいは、注文による特殊な据置用電池木台の設計に限定され、設計部門の主要な業務は蓄電池の小型化や軽量化、あるいは性能向上を目的とした部分的改良設計に移行した。このような業務内容の変化に呼応し、かつ、従来の設計業務では顧客の製品に対する要望や、製品コストの低減による営業利益の増加などの点を業務上十分に配慮しなかつたことから、原告会社は設計部門所属の従業員に対し技術的性能の面ばかりでなく、原価低減や品質向上に資する諸種の教育をしてその成果を設計業務に反映させ、これら従業員は設計者、設計補助者を問わず、業務処理にあたつては技術面ばかりでなく、経済的、実用的な諸種の面で従前より一層の広汎な知識の習得が必要とされた。しかしながら、参加人の四年間にわたる専従休職中に蓄電池が小型化、軽量化し、かつ、性能も、より一層向上したとはいいながら、蓄電池の基本的構造や原理は過去から現在にわたつてなんら変らず、現在の設計業務の主たる任務はかかる蓄電池の基本的構造や原理を基礎として個々の部分の改良を図つて行く点にあつたが、それも、参加人が専従解除となつた昭和四一年二月当時においてはすでに改良のための設計基準は一応整備されていた。もとより、改良設計は決して右設計基準の墨守に尽きるものではないから、その職務を処理するためには従業員は従前より広汎な知識の習得を必要としたけれども、参加人が担当してきた職務は、より高度の技術と知識が要求される設計者としての職務ではなく、設計者の樹立したマスター・プランにもとづいてこれを図面化する設計補助者としてのそれであつた。それに、設計部門の従業員は従前より広汎な知識を要するとされながらも、その人事は参加人の専従休職中においてもかなり異動があつて、必ずしも固定化したものではないうえ、研究課の従業員は専門課程を履修してきた大学卒業者によつて構成されているのに反し、設計部門の従業員の殆んどが参加人と同様工業高校卒業者によつて構成され、また、原告会社が設計部門の従業員に対して実施してきた諸種の教育も専門的な常設機関によるものではなく、余暇を利用しての補習的なもので、とくに、原告会社が強調した原価意識の昂揚実用面の教育も決して専門的に深く堀下げたものではなかつた。なお、参加人は専従就任前に本邦最大の据置用電池を設計し、あるいは、蓄電池の品質向上のための各種考案をして原告会社から表彰されるなど技術的能力において優れた設計補助者であつた。以上の事実が認められ、前掲証拠中、右認定に反する証人北井康夫の証言の一部は措信できず、他に右認定を左右するにたりる証拠はない。

右事実によると、参加人が専従書記長就任前に配属されていた機構上の原職である守口工場設計課設計係は原告会社の機構改革によつて配置人員が減員され、他課に統合されるなどしたけれども、技術課設計係として存続しているし、また、参加人が設計補助者として担当していた職務上の原職である蓄電池の形状設計も業務の大部分が改良設計に移行し、その分野が一部に限定されたとはいいながら、現状においても、なお既存の蓄電池部品を標準電池に適合させるための図面設計とか、注文による蓄電池木台の設計として存在していることが明らかである。そうだとすれば、原告会社の機構や担当職務の内容において参加人が従前担当していた原職が存在することは否定できないところであり、そもそも、設計部門全体を参加人の原職と称しても決して不当ではない。それに、参加人の復職にあたつては、原告会社は右原職ばかりでなく、参加人の意向や技能を十分に配慮した職への復職も当然考慮すべきことはすでに説示したとおりであり、かかる職が守口工場内の他の部課においてまつたく存在しないものとは弁論の全趣旨や本件に窺われた全証拠に徴してもとうてい考えられない。また、参加人が復職すべき空席がなく、したがつて参加人を復職させる場合、人員配置上他の在職者の配転を余儀なくされる事態が生じても、これは、専従者の原職復帰が原則として原告会社に義務づけられる以上、克服すべき障害として原告会社の忍受すべきものである。もとより、参加人が形状設計から改良設計にその主力が移行し、かつ、技術的にもかなり進歩した設計部門やその他守口工場内の他の職に復職したとしても、四年間にわたる空白のある参加人の技術と能力が直ちに原告会社の要請を満たし、他の従業員に伍して同等の職務処理ができるかは疑問であることはいうまでもない。したがつて、参加人を復職させた場合、原告会社として技術的な面等において不十分な点があることは容易に予測されるところであるが、しかし、かかる障害もまた原告会社が在籍専従制度を認め、かつ前認定のとおり参加人を極力原職に復帰させるべき職務を負うものである以上、企業的配置を尽くすことによつて克服しなければならない問題であるといつてよい。とくに、参加人の技術的能力と素質は、今後の努力と研さんにまつ面が多いけれども、指導如何によつては早期に原告会社の一員として十分適応しうることは前認定の諸般の事実から容易に推認できるところであるから、参加人の技術と能力が現在直ちに原告会社の技術水準に適合しないからといつて、かかる事由は参加人の復職を困難とする理由というべきではない。その他、原告会社が列挙する人事面等の障害についても、労働協約第一九条第四号で専従者が復職した場合の昇給、昇格については他の同等の組合員との均衡を考慮して調整する旨規定されていることや、原告会社にとつて参加人を極力原職に復職させることが責務であることを考えると、この点もまた参加人を復職させるにあたつて克服困難な障害とみることはできない。

以上のとおりとすれば、原告会社にとつて参加人を原職である守口工場内の設計部門、もしくは、設計技術者としての参加人の意向と技能を十分に反映した部門に復職させることを不可能とすべき合理的かつ正当な事由が存したものとは認められない。また、被告が参加人を原職「または原職相当の職」への復職を命じたのは前認定のように参加人の休職中に社内機構の一部改革にともない参加人が配属されていた機構上の原職内容に変容を生じたことや、参加人の技術上の立ち遅れ、その他同僚従業員との処遇上の均衡等を考慮して原告会社に参加人が復職すべき原職の範囲決定につき、裁量の余地を残こすことによつて参加人に必要な救済をはかろうとしたもので、右の程度の裁量処分は救済命令の法的性質や機能からして当然許容されるものと解すべきであり、また、右「原職相当の職」の意味も前記諸般の事情からみて客観的に特定しえないものではないから、右命令をもつて不確定な行政処分ということはできない。したがつて、原告会社に対し参加人を原職もしくは原職相当の職へ復帰させることを命じた被告の判断になんら違法の点はない。

四そこで以下、原告会社が参加人を福岡支店へ配転した措置や懲戒解雇とした処分が不当労働行為に該当するか、否かを検討する。

1  参加人の組合活動と専従書記長を解任されるまでのいきさつ

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

参加人は原告会社入社後間もなくして当時の守口工場労働組合に加入し、昭和三三年ごろから教宣部長、青年部長、執行委員等を歴任し、昭和三六年一〇月守口工場労働組合と浦江工場労働組合の統一に際しては卒先して運動を展開して統一(総評全国金属労働組合神戸電機支部)を成功させ、それと同時に専従書記長に就任した。参加人を中心とした新執行部は組合統一を転機として、従来、賃上闘争や組合員の権利を守る闘争において消極的であつた組合の姿勢を積極的なものに転換させ、昭和三七年の春闘においては一週間にわたるストライキを展開して当時としては画期的な組合員一人平均金四、〇〇〇円の賃上を獲得するなど闘う労組としての姿勢を確立し、以来、参加人は組合員の信頼をかち得て昭和四一年二月書記長を解任されるまでの間五期にわたつて専従書記長の任にあつた。参加人が専従書記長を解任されるに至つたのは次の事情によるものである。すなわち、原告会社は彦根工場操業後合成樹脂部門を中心に赤字が累積したため、これを解消する目的で昭和三九年四月浦江工場敷地の処分、配置転換等を内容とする体質改善計画案を組合に提示し、その旨の協定が成立したがその後も業績が悪化したので、昭和四〇年一一月六日あらためて浦江分工場の移転等不採算部門の閉鎖統合、これによる余剰人員を希望退職募集によつて整理するなどを内容とした会社再建計画案を組合に提示した。団体交渉は数回におよび、とくに希望退職者募集に関する組合側と会社側の意見は真向うから対立したが、原告会社は同年一一月二九日組合の強硬な反対を押し切つて同年一二月五日を締切日(その後三日延長)とする一一二名におよぶ希望退職者の募集を行い、ついで、それが所期の目的を達成しないと判明するや、組合との話合を打切つて同年一二月一五日付をもつて守口工場を除く、浦江、彦根両工場の組合執行委員三名を含む従業員七八名の指名解雇を断行した。組合はこれに抗義して浦江、彦根両工場で全面ストライキに突入するなど合理化反対闘争を強力に展開した。しかし、整理の対象とならなかつた守口工場組合員の間に闘争を進めるについて動揺が生じ、同年一二月一五日開催された守口工場の全員集会において北岸委員長ら三名の守口工場出身の執行委員から合理化反対闘争を終結すべきであるとの意見が突如表明されるにおよんで同調者が続出し、あくまで闘争の継続を主張する参加人ら六名の執行委員との間に対立が生じた。同年一二月二三日守口工場で開かれた組合臨時大会において合理化反対闘争の終結を求める緊急動議が可決され、ついで、翌昭和四一年一月八日の大会で執行委員の個別的な信任投票が実施され、その結果、信任されたのは合理化反対闘争を終結すべきであるとする北岸委員長ら守口工場出身の執行委員のみで、闘争の継続を主張する参加人を含めた六名の執行委員はいずれも不信任された。不信任となつた六名の執行委員中、三名は指名解雇され、他の一名は自己退職し、他の一名は組合活動を放棄したので、残つたのは結局、守口工場に在籍する参加人のみであつた。参加人は不信任された後も新執行部の方針に反対して指名解雇撤回など反対闘争の継続を主張して積極的に活動し、また、同年二月の組合役員補充選挙や同年九月の定期改選による組合役員に立候補するなどして、将来においても組合活動を一層活発に展開しようと意図していた。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  福岡支店へ配転するまでのいきさつ

〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

(一)  原告会社は昭和四一年二月一日付で勤労部次長梅園魁一を社長付に代え、その後任に福岡支店長東勝之を発令した。東は同月一七日本社に就任し同月二〇日頃組合事務所に挨拶に立ちよつた際、参加人は同人に「専従書記長を解任されたので復職のことをよろしく頼む」旨話したところ、東は「君の問題につきいずれ話し合おう」ということでその時は別れた。同月二五日東および右梅園魁一は参加人を誘つて夕食を共にしながら参加人の復職問題などについて話合つた。その席上、参加人は原職である守口工場設計課へ復職したい旨申し述べたところ、東は「原職復帰に固執されると困る、君の考え方は今までの組合の考え方か、この際考え方を変えて貰わねば困る」などと言い、あわせてその際、九州では営業の人が必要であるとか、そこでの営業の面白さを話し、また、参加人と同一思想傾向の者が九州でうまくやつている例などを挙げ、梅園もこれに相槌を打つなどして両者ともども暗に、参加人の原職復帰は困難で、九州への配転もありうることを示唆した。原告は前記東、梅園の言動をもつて、単に参加人が復職にあたつて、従業員として採るべき態度や心得を上司の立場から述べたものにすぎないと弁疏するけれども、前認定の同人らの言動内容は、単なる上司の部下職員に対する指導の域をはるかに超えたものであり、とくに勤労部次長の職にある東が、前認定によつて明らかなように、未だ原告会社内部において、参加人の守口工場への復職が可能であるか否かにつき調査検討がなされていない段階で前記言動に及んでいることは、とうてい看過しえない事実というべきである。

(二)  また、梅園は昭和四一年三月一二日単身で、かつて参加人の結婚式に際し面接したにすぎない参加人の叔父宅を訪問して、叔父や参加人の実兄に対し、参加人の考え方が赤で組合活動をするから、会社から悪くとられるし、同僚との間もうまく行かない。この際、会社を辞めた方がよいと思うが、もし、参加人がその気なら就職を世話してもよい、と述べ、同人らを通じて参加人の意思を確かめることを要望して帰り、ついで、三月一六日実兄宅を訪れたけれども、実兄から参加人はあくまで原職復帰を要望している旨聞かされるや、早々に帰つた。参加人は翌一七日このことに対し梅園に抗議した。

(三)  これより先、東は前記二月二五日の参加人との対談の直後参加人が原職復帰を希望している旨を原告会社勤労部長折原正三に報告したところ、折原は同年三月初めごろ守口工場長西勇に参加人を原職に復帰させる余地があるか、否か尋ねたが、守口工場では合理化が進行して配置人員に余裕がなく、技術的にも空白のある参加人を受入れる余地はないし、参加人と同期の者との人事のかね合いからも、参加人を原職に復帰させることは困難であるとの回答を得た。そこで、折原は参加人を原職もしくは守口工場内の原職相当の職に復帰させることをいち早く断念し、当時福岡支店長森本(前記東の後任者)から蓄電池関係の技術員の増員派遣方の要望もあつたので、東のすいせんを容れて参加人を福岡支店へ配転することをきめたが、その間参加人に対し、原職復帰が困難な場合の復職先につき意向を聴取することは全然なされなかつた。

(四)  一方、参加人の復職について交渉を委任された組合は、同年三月一七日原告会社に参加人を原職に復帰させるよう申し入れ、次いで、昭和四二年三月三一日から同年五月九日までにわたつて会社との間に経営協議会をもち、組合側は参加人の原職復帰を強く要望したけれども、会社側は終始、原職復帰が困難であると主張し、結局、交渉は進展しなかつた。東勤労部次長は五月三〇日参加人に対し原職復帰に拘泥して貰つては困ると伝えたが、参加人はこの問題は組合に一任していると言つて話合を断つた。その後、同年六月二四日東勤労部次長は参加人に対し福岡支店社長付の配転を内示したが、参加人はこれを拒否し、同年七月一三日被告に対し参加人を守口工場設計課へ復職させない原告会社の措置は不当労働行為であるとして被告に救済を申立てた。原告会社は同年七月一五日付で参加人の右配転を正式に発令し、翌一六日参加人にその旨の辞令を交付した。そしてその後は、原告会社は参加人の苦情処理の申立てや、本件配転については労働委員会で審理中なので、その判断が下がるまで赴任を延期されたいとの申請をいずれも却下し、参加人の福岡支店への早急な赴任を求めてきた。

以上の事実が認められ、〈証拠判断略〉

3  本件配転命令の業務上の必要性と参加人に与える影響

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

原告会社福岡支店は九州一円のほかに本州の西端の一部を所轄し、昭和四一年九月当時支店長以下約一四名の従業員を擁して原告会社の製品である蓄電池や整流器などの販売業務を主体としてきたが、同支店の蓄電池部門でクレームの処理など技術面を主として担当する常駐の技術サービス員は昭和三八年以来欠員であつた。このため、昭和三八年九月同支店長として赴任した東勝之は自己が蓄電池関係出身の技術者であつたことから、自ら技術面を担当することによつて同支店での技術サービス員の不足を補つてきたが、昭和四一年二月一日本社勤労部次長に転出し、くわえて、後任の支店長森本は事務畑出身だつたので、同支店の技術担当者は皆無の状態となつた。そこで、新支店長は本社に対し技術サービス員の派遣を要請し、本社に転出した東もその必要性を痛感していた。支店常駐の技術サービス員の主要な任務は技術面のサービスを通じて蓄電池関係の製品の販売の促進にあたるもので、その担当職務はアフター・サービス、クレーム処理のほかに代理店、販売店への技術援助・電力会社、電々公社に対する電池取扱についての技術説明・自動車会社に対する技術指導・顧客の注文内容に対する技術的解明と工場、研究部門への連絡などであつて、その職務の性質上、技術サービス員は蓄電池の構造面はもとより、化学的な面など全般にわたつての技術的知識ばかりでなく、セールスを内容としている点で営業面における一応の経験と知識が必要とされた。しかるに、参加人は蓄電池の形状設計を担当してきたので構造についての専門的知識は十分であるが、化学的知識に乏しく、それに、営業的な経験と知識は皆無であつた。もとより、原告主張のように参加人の能力、経験からして、一応技術サービス員として勤めうることはあながち否定できないとしても、右職種が参加人に最適であつたとする主張は直ちに肯認しがたい。くわえて、参加人が福岡支店へ転勤するとなると、従業員数が僅かに一三名足らずの同支店では積極的に組合活動を進める余地は少ないし、同支店から参加人が意図する組合役員に選出されることはきわめて困難で事実上不可能にも等しい。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

4  本件解雇に至るまでのいきさつ

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

原告会社は福岡支店へ転勤を命ぜられた参加人が同支店への再三にわたる赴任督促にもかかわらず、これを拒否し、発令から二〇日以上経過しても無断欠勤し赴任しなかつたので、右赴任拒否や二〇日以上におよぶ無断欠勤は就業規則に規定されている懲戒解雇事由(第三七条第一号「正当な理由なく欠勤二十日以上に及んだ者」、第五号「職務上の指示命令に不当に従わず職場の秩序を紊した者」)に該当するとして賞罰委員会に付議し、その議を経たうえ、昭和四一年九月二日付をもつて参加人を右理由で懲戒解雇とした。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

5  以上1ないし4認定の事実によれば、原告会社は参加人を極力原職に復職させるべき責務があつたのに、右復職が困難であるとの一事からたやすくこれが履行の努力を放棄し、さらに守口工場内で参加人の技能に適した原職相当の職場を探索、検討する努力をも怠り、また、従前は専従者が復職する場合で原職復帰が困難のときは本人の意向を十分しんしやくしていたのに、参加人の場合にはその意向を全然聴取することなく、いち早く守口工場以外の職場への配置を決定した。原告会社福岡支店が蓄電池関係の職務を担当する技術サービス員の補充を必要としたことは一応是認できるけれども、しかし、技術者本来の職務の経験しかない参加人が営業面も担当する技術サービス員として最適であつたか、すこぶる疑問で原告の主張も直ちに首肯するにたりない。それに、参加人は原告会社が企画、実施した合理化計画に強硬に反対してきた守口工場に残留する唯一の積極的な組合活動家であつて、専従書記長を解任された後も新執行部の方針に反対して、合理化反対闘争を推進していたものであるばかりか、参加人が原職復帰を要望するや、原告会社で責任ある地位にある東勤労部次長や梅園社長付は参加人の右意向を封殺するかのような言動におよんでいるうえ、原告会社はその後、参加人を原職に復帰させるべきであるとする組合の要求に対し、終始それが不可能であるとの主張を堅持して譲らず、参加人をあえて組合活動を進める余地の少ない遠隔地の福岡支店の技術サービス員として配転したものである。よつて、かような事実に徴すると、原告会社の本件配転の真意は業務上の必要性にもとづくものと解するより、むしろ、参加人が守口工場に復職して従前と同様に活発な組合活動を展開することを嫌悪し、参加人を守口工場から遠ざけることによつてその組合活動を封じようとした点にあつたものとみるのが相当である。

そうだとすれば、参加人に対する本件配転は参加人の組合活動を嫌悪し、参加人を不利益に取扱う、不当労働行為に該当するものというべきであり、また、本件解雇は右配転命令拒否を理由とする点で、右配転と一体をなすものとして同じく不当労働行為に該当するものといわなければならないから、これと同旨の被告の判断は結局相当というべきであつて、右判断に原告主張のような違法の点はない。

五以上の次第で、本件救済命令は違法であるから、違法であることを理由にその取り消しを求める原告の本訴請求は失当である。

よつて、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(斎藤平伍 神田正夫 三島昱夫)

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